自己顕示が、ヒトの生きる理由①

2020年6月3日

お世話になります。

なんで生きてるんだ?とよく言われる人種の私です。
よく考えたらなんで生きているのでしょうか?

繁栄を望み生きたいと願う人々が結果生き残り、生きることを辞めたいと挫けた人々が子孫を残す前に命を断ち、結果淘汰されてしまう。

実はヒトという生き物に限らず、生きとし生けるもの全ては生き延びることに特化したからこそ今もなお種として現存するのであって、生きることに向いてない、あるいは死にたいと感じた生物は子孫を遺す前に死にゆくから淘汰され、今のこの世界が平和に回っているという考え方はできないでしょうか?

生きることに向いていない思想は自然と剪定され、結果生きることに適しているものだけが生き残り、そのもの達によって次の世代に繋がれていく。
まっとうな進化論です。

自殺をする生き物は人間だけだ、と言いますが、どちらかと言えば自殺をする生物は人間を残していなくなった、という考え方はできないでしょうか?

そりゃそうです。
死んでしまいたいと思うこと自体が、生き延びる上で邪魔にしかならない。
鶏が先か卵が先か、ではありませんが、種としての繁栄を望むから個体数を増やし生き残ったのか、あるいは生きることに向いている種が次第に死ににくくなった結果個体数が増えたのか、という考察。

死ににくいように進化をした結果、ヒトは繁栄した。
死ににくいように進化をしたのはなにも体の構造の話だけを指しているわけではありません。

聞けばここ最近の研究では、精神ですらも遺伝するというじゃありませんか。
大体両親がどちらも温厚ならば、50%の割合で温厚になる、と。
まあ何を指して温厚とするのか、ですが。
残り50%は環境に依るものだそうです。
環境に刺激的なものがないのであれば、性格の遺伝性の確率が優位になりますよね。
これと同じ論理ならば、ぼくは死にませんマインドが遺伝に遺伝を重ね、進化して今のヒト科ヒト目に継承されたとも考えられる訳です。

ではなんで未だに人間は自殺するのかって?
さっき精神の半分は環境によって左右されるものだということでしたが、そういうことです。

そりゃ生きる上での障害やプロセス、要は環境が圧倒的に複雑だから未だに人は自殺をするんじゃないでしょうか。
というよりも、圧倒的に複雑化したこの世が自殺を促進している。

考えたことあるんですが。
戦前の日本、それこそ江戸時代に遡ると、自殺率というのはどうなっていたんでしょうか?

なんとなくですが、あまり自殺していなさそうじゃないですか?
いや、なんとなく、なのですが。

大体が親の仕事を次ぐ以外の選択肢がなかったと聞く当時。
今から考えると、利便性や自由度からしても死にたくなる環境が結構揃っている気がするんですよね。

選択肢が増えた故の苦悩、といえばそれまでなのですが。

要は、この世界は今、生きにくいのではないか、ということ。
そして、別に自殺自体は悪でも何でもなく、劣勢遺伝みたいなもので、ある種の先祖返りみたいなものなのではないだろうか、ということ。

先程の自殺する生物理論を前提とするならば、それこそ劣勢遺伝の二重まぶたのような感覚で、死にやすい自殺マインドが遺伝したとしてもおかしくはないのでしょうか?

さてさて。

自殺に対するハードルが一気に低くなったところで、改めて生きることについて考えてみましょうか。
何故ヒトは繁栄したのか、何故ヒトは生き続けるのか。
次回で考えていきたいと思います。