自己顕示が、ヒトの生きる理由。②

お世話になります。

あまり生きている価値を見いだせていない私です。
そろそろどこかに秘められた自分という名の原石を磨く作業に移りたいのですが、いやはや。

前回遺伝子レベルでヒトは死にやすい生き物で、現代社会の今の風潮も相まって死にやすさクライマックスなのではないかと、想いを馳せた私ですが。
それでもなぜ、ヒトは生まれ落ち、そして死ぬまで生き続けるのでしょうか。

神はかく語りき、産めよ増えよ地に満ちよ。
生きとし生ける生物全てにそれを祝詞として贈りました。

かくして地球上生命体による、地球のリソース争奪戦が始まったのです。
各生命体が各々の特徴を生かし、血で血を洗う生き残り競争が勃発し、各々が地球の地を埋め尽くさんと侵略し合う戦いとなりました。

ヒトの生きる意味、というのはそこに限ります。

増えるために種としての適応能力を上げ、「地に満ちやすい」よう品種改良を繰り返されたのです。

進化の果てに爪や牙を獲得し、戦う事で他者のリソースを減らし自己の糧とすることを選んだ猛禽類、
皮膚をぶ厚くし大きく威圧的な角、より大きな身体と進化させることで個体として「死ににくい」ことにステータスを振った動物たち。
身を寄せ群れを成し強靭な脚を得たことで、種として「減りにくい」体制を作り、着実に荒野のテリトリーを増やしていく草食動物。
膨大な量の子孫を産み、「増えやすい」ことでそれこそ地を埋め尽くさんと群れを成し増え続ける昆虫。

対するヒトは何も武器になるものを持たず、別格の繁殖力もなく、強靭な脚など得ずに頭脳という知恵を育てました。

結果、地球上を代表してしまうほどの生命体へと進化したのです。

ヒトの生きる意味はとうに失いました。
もはや、地を埋め尽くさん勢いで今も増え続けているのがヒトなのですから。

ただ、それは種としてのヒトです。

ヒトとして生を受けた私たちはヒトであり、人間なのです。

人間、それはヒトとヒトとが集わないと生まれぬ概念です。
人と人の間、と書くのは言い得て妙ですね。

人間の生きていく理由、というのはヒトの生きる意味とは異なるものです。

意味というのは生まれた時点で授かった根源的なもの。
まさに神の「祝詞(ギフト)」という他ありません。
生まれた時点で死ぬ定めが決まっている。
意味とはそういったものです。

対して理由とは、己で言語化するもの。
理由というのは全て事後に生成されるものです。
「〇〇だから」「〇〇だったから」「〇〇になるから」
理由は何かがあって、それに対して発生する概念です。
すなわち、今生きているうちは、結論として出るものではないのです。

考えたって考えたって出るものでもなし、自分探しの旅で見つかったというのならば、そこで終わり、そこが墓場です。
生きて歩んだ道の後ろに理由が生成されるのですから、いくら前を向いて足を進めたところで、自分自身が暮らしてきた場所以外に自分(生きる理由)なんて見つかりっこないでしょう?

今いくら考えたところで探し当てられるようなものでないのなら、それならば、自分がしたいと思う事、したいことが無いのであれば楽しいことにただ、生きるという事をぶつけても良いんじゃないでしょうか?

そもそもここは地球上、先も言ったとおり、リソースの奪い合いで勝者となったヒトの埋めき合う土地です。

よく生きている爪痕を残せ、とか歴史に残る人になれ、とかと大人たちは言いますが、それは本能的にヒトの「リソースを埋める」行為が言葉に現れているんだと言えます。

知を以て地を満たすように生まれたヒトは、そこに喜びという報酬を感じるように体が出来ています。
そうなるように人は品種改良を続けられたのですから、
報酬ないと続けられないような大変なことを、ご先祖様は気の遠くなるような時を重ねて連綿と続けてきたわけです。

そんな大それたことをしろ、というわけではありませんが、
同じ生活を送り、同じ経験をし、同じ時を生きた人はあなた以外に一人たりとも存在しません。

そんなあなただけの生きる理由を、叫ぶだけでもそれは価値のある行為なんじゃないでしょうか?
人類史のリソースの中に、少しでも自分の生きている様を刻む行為ではないでしょうか?

思うままに生きて、思うままに楽しんで、その過程で苦しんで、もがいて、けれどもまだ生きている。
それを叫び続けて、俺はここにいる、私はここにいる、と主張する。
自己主張と自己顕示を繰り返すことはきっと、貴方の喜びに通じるのですから。

だってそうでしょう?
インスタグラムやTwitter、FaceBookが出てきた瞬間、人々は群がり自己を発信するツールとして利用して今がある。
私のこの長ったらしい支離滅裂なブログだってそうです。

偏見もあるでしょうし、くだらないと一蹴する人だっているでしょう。
それでも生きている以上、大なり小なり自分の生きざまが嫌でも残っていくのですから、あえて主張するという方面で一つ、いかがでしょうか。

あなたなりの生きる理由を、刻み続けていって下さい。