今日という日を迎える

特になんてことはありません。
今日という日を迎える今日この頃。
日付は前に進んでいて、何かが変わったような気がする。
事実、一日は進んでいて、タイマーが0を叩く瞬間も迫っている。

私なんか最たる例で、あらゆる負の猛りも前進する決意も、寝てしまったらある程度リセットされて朝を迎えます。

データとしては残るのです。
昨朝は誰かの敵意を買ったな、とか、
昨晩は新たな発見をしたな、とか。
文字としては残るのですが、その言の葉に繋がれた感情を枕元に置いたまま、

メガネだけ手に取って忘れてきてしまう。

冒頭にリピートしましょう。

今日という日を迎える。
迎えるにはそれ相応の準備が必要です。
歓迎、日々を丁重にもてなす、その準備を怠らない。
迎えられかったのであれば、それは通過です。
なにかしらの準備をしておきたいものです。

私どもが生きている間にもてなす日にちとは

計算しました。
人生百年時代とここ最近皆さん言ってますので、それを信じて残り70年。
うるう年含め25,568日。もてなすのが待ち遠しい数字になりました。
私たちに出来ることといえば誠意を持って一日と一緒に過ごしてみることくらいです。

感情を継続して想い募らせなくていいし、特別な準備を携え迎え撃たなくてもいい。
ただ、大切な人と暮らす感覚で一日"と"過ごせたら、おそらくそれがベストだと思います。

今日という日を迎える。
それは、それぞれの日にちを大切にもてなす。

大切に日々を過ごして重ねていけば、その期日を迎えたとしても悪くない結果になると、私は信じています。

それは良い現代社会のスローライフになるんじゃないかと、思います。

これくらいの気構えで過ごすくらいの余裕って欲しいですよね。